「それでも人生にイエスと言う」私が言って誰に届く?

アウシュビッツ収容所から生還して活躍した

ヴィクターフランクル

「人生にイエスと言う」

という言葉があります。

 

最悪の環境で人間として扱われず、

多くの人たちが亡くなっていく中で過ごされた方の言葉は

とても重いです。

 

話は変わり、私たちカウンセラーは

「言葉」を通じてクライエントを支援をしますが、

その「言葉」だけに頼ってしまう危険性もあると思っています。

 

「とりあえずここではおうむ返しをする」

「感情に触れなければいけないと習ったから「不安ですね」と返す」

 

ということはないでしょうか?

 

カウンセラーの言葉は必ずクライエントに何かをしている訳ですが、

クライエントは馬鹿ではないので、

その言葉が適当に言っているのかどうか、

そこに「リアル」があるかどうか、と言ったことを感じ取るものです。

 

特に何かを葛藤している状態にあるクライエントは、

通常よりそういうちょっとした何か、

に敏感であることが多いように実体験からは思います。

 

カウンセラーは確かに「言葉」を使って支援をするのですが、実は言葉だけではなく

視線や態度といったノンバーバル要素、そして「私」という人間がこれまで

経験してきたこと、考えてきたこと、それら全てを使って

クライエントを支援します。

 

それら全てを使って発する言葉だからこそ

人の心に届くのではないでしょうか。

 

まだまだ人生経験が圧倒的に足りない私が

ビクターフランクルの真似をして

「人生にイエスと言う」

と言ってどれだけの人の心に届くでしょう?

 

この言葉はやはり彼だからこそ、意味ある言葉であり、

多くの人の心に届くのです。

 

そして私たちも同様に

私という人生を過ごしてきたカウンセラーが

自分の頭と心で感じて考えた言葉だからこそ

クライエントの心に届くものだと思います。

 

上辺だけの技術、

テクニックで対応されているに過ぎない応答

このようなものは逆にクライエントとの関係性を脅かすものになり得ることを

心しておきたいです。