「寂しい」「辛い」「哀しい」の一言にもいろんな色があることまでを理解しようとしているか

ご存知いただいている方もいらっしゃいますが、

昨年末愛犬を亡くしました。

急激に悪化してあっという間だったこともあり、

気持ちが未だ追いついていない感覚があります。

 

以前にも犬はいて同じことを経験していますが、

やはりお別れは寂しく哀しいです。

 

前の子の時も寂しく哀しいし、

今回もまた寂しく哀しい。

そして祖父や父が亡くなった時も寂しく哀しかったです。

 

ですが、どの寂しさも哀しさも少しずつ異なります。

あの子の時には後悔からくる哀しみがあったり、

あの人の時にはもっと一緒にいたかったという気持ちが強かったり。

 

同じ「寂しい」でもあの時よりはまだマシかな、という感覚だったり。

 

私たちはそういう少しずつ異なる感情や思いも

「寂しい」「哀しい」という一つの言葉で表現します。

 

言葉というものはそういう性質であるので致し方がありません。

 

カウンセラーとしてはいかがでしょうか。

上記のように同じ言葉を使ったとしても少しずつそれは

異なるということは知っているはずなのに、

「哀しいですね」

「辛いですね」

という言葉を投げかけるだけで

相手を分かった気に、

相手に理解を示した気になっていないでしょうか。

 

その人にはその人の哀しみの色があるし、

その時々の哀しみの色もあるということまで

分かろうとしているでしょうか。

 

それはきっとかなり骨の折れる関わりであるはずです。

 

「その人自身」を理解できた、傾聴できたと

浅はかに判断すること自体、とても稚拙なように思います。

 

今、いろんな感情を自分自身が持て余している状態を通して、

自分自身のカウンセラーの関わりを見直した時に

自分の至らなさを改めて痛感しています。

 

追伸、記事の性質上、

もしかしたらかなり私が凹んでいるように

お感じになるかもしれませんが、

愛犬との絆は深いですし、私は元気です!

 

 

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